#03 アザーンが街を満たす

白背景に黒ペンで描かれたムハンマド・アリー・モスクの手書きスケッチ

エジプト考古学博物館は、むっとした空気と無造作な展示で満ちていた。高い天井と白い石の床が続き、たくさんの出土品が並んでいるが、ほとんど説明がついていない。教科書に載っているよう有名な巨像すら無造作に陳列され、その間に40センチほどのすすけた丸いものがぽこぽこと並んでいる。それらすべてに”mummy”とそっけないキャプションが付いていた。新生児のミイラなのかと思うと、背筋がすっと冷えた。この雑然とした展示に、どこか申し訳ない気持ちにさせられた。おそらくただ発掘される量が多すぎて解説するのが追いつかないのだろう。博物館というかただの物置きというか。この状態で鑑賞するには知識が足りなすぎて、私たちは足早に博物館を後にした。

ピラミッドのような複雑で巨大な建造物を作る技術を有し、ローマ帝国、イスラム世界を受け入れて数々の王朝がここに都市を作り、さまざまな民族が往来し、複雑な文化を折り重ねてきた土地の博物館がこんなに雑に存在していることに、妙な衝撃を受けた。手を抜いていい。手を抜いても誰も困らないのか。私は手を抜くというのがずっとわからない。手を抜くポイントがわからず毎回自分の身体を壊している。その繰り返しだ。私は、手を抜いて怒られたり失敗したりして後悔するのを酷く恐れている。もしかしたら、この無頓着さは注意不足からくるのではなく、大きな時間の流れに身を任せる余裕や歴史的な視点の広さから来るのかもしれない。

次にパピルスのデモを見学した。壁は大理石で窓がなく、冷房が効いてひんやりとしていた。長机の端にパピルスの草が立てかけられている。パピルス紙制作の実演が始まった。パピルスは白い繊維質の中心部を緑色の外皮が覆っている。先端に細い葉をつけたサトウキビに似た外観をしている。緑色の外皮を剥いで白い中心部を水につけてふやかす。ナイフでごく薄くスライスし、板の上に縦方向と横方向に並べ、木槌で打ち付ける。それを乾かすとパピルス紙が出来上がるという。

この部屋の壁という壁にはツタンカーメンの顔やピラミッド、エジプト神話やアラビア語のカリグラフィなどの絵が掛けられている。どれもパピルスに描かれていた。土産物として買うには驚くほど大きなサイズだ。

そのあとムスタファさんは、私たちを香水屋に連れていった。店頭には、繊細なガラス細工の香水瓶がずらりと並んでいた。バラの香りが部屋いっぱいに広がる。エジプトで香水といえばバラ一択らしい。私はバラが苦手でなかなか手が出せないが、他のツアー参加者は楽しそうに手にとって見比べ、店主と話している。私もエジプトらしいみやげものを買いたいという旅行者の見栄が内心にあった。結局、赤い小瓶に入ったバラの香水を買うことにした。

香水瓶は10センチほどの高さで、ワイングラスに似て、円形の台座の上に膨らみがあり、ここに香水が入っている。細いヘラが付いた蓋で密閉され、このヘラの先についた香水を直接肌にこすり付けるのだ。外側全体は切子硝子のように模様があしらわれている。少しずつ模様が違い、同じものはふたつとしてない。

買い物を終えると、私たちはムハンマド・アリー・モスクに向かった。これはエジプト考古学博物館から南東方向、シタデル地区にある大きなモスクだ。ドーム型の屋根を3段に重ね、背が高く先端が尖った2本の塔がある。南校舎の教室で昼下がりに眠気と戦いながら輪読した文章には、モスクにはミナレットという塔がありその上でアザーンを歌って礼拝の時間を知らせると書いてあった。これがそのミナレットというものか。英語の文献を辿るだけではわからない。ああ、こういうことだったのかと何かポトンと腑に落ちた。

ムスタファさんが、バスの中で運転席の横に立ち上がって私たちに伝えた。「金曜日の礼拝の時間でモスクの中には入れない。外から見るだけになっちゃうけどいいかな。」朝からピラミッドを回って疲れ果てていた私たちは、無言でうなずいて同意した。記念にバスの窓越しに写メを撮った。しかしパピルスのデモや香水屋に立ち寄る時間があったのなら、モスクを先に見ればよかったのにと残念に思った。

私たちはホテルに戻ってひと息ついた。窓の外からクラクションの間を縫うように何か鳴っているのに気がついた。歌のようなものだ。ようやくこれが、ミナレットから流れるアザーンであることに気がついた。さっきミナレットを目の当たりにして、ようやくこの音の正体がつながった。想像していた静かで荘厳な声とは違う。拡声器で最大化した大音量の騒音である。これが1日5回、礼拝の時間にミナレットから街中にあふれかえる。