地中海をひらく一行

アレクサンドリアの地中海。ブローデルの『地中海』を思い出した海の風景。

2004年、代ゼミの西きょうじが言ったんです。
「世界史やるなら、大学に入ったらブローデルくらい読まなきゃダメだよ」って。彼は英語講師だったけど、フランス語にも通じていたからなのかもしれない。
いつものように笑いながら軽く言うんだけど、なぜかその一言が耳に残りました。

それで、大学に入ってすぐ図書館で探してみたんです。
書棚にずらりと並ぶ『地中海』全5巻。もちろん全部なんて読めなかった。
でも、冒頭の一文でもう心をつかまれてしまった。

「私は地中海をこよなく愛した。」

そして、第1章の書き出し。

「まず初めに山地」

その軽やかさ、透き通るような明るさ。
学術書なのに、語りかけるような優しさがあった。 気候や地理、人口統計や交易。あらゆるデータを扱い、文字の向こうに、地中海の光や風、人間の暮らしが見えるようだった。

(→📘 フェルナン・ブローデル『地中海』(藤原書店)

自分の見たい世界を、こんなにも丁寧に、情熱的に、やさしく描ける人がいるんだ。
そう思ったとき、「私もこんなふうに世界を書きたい」と思った。
だからアレクサンドリアの海を見たときに思ったんです。
──ああ、これがあの“地中海”なんだな、と。
ブローデルが見た景色の、ひとかけらに触れたような気がした。

でも、実際の大学の歴史学はもっと地道で、地味で、忍耐がいる。
史料を正しく扱い、書かれていないことは主張しない。原典の言語を読めない場合は、英語の二次史料、三次史料にあたって、文献を積み上げる。
まっとうで、まじめで、すごくめんどくさい。

その煩雑な手続きに直面して、歴史学に勝手に期待した私は勝手に失望しました。学部生の私に、広い視座で書くなんてことは到底できないのだと諦めたんです。
それでも最後に、エジプト史と歴史哲学を絡めて卒論を書きました。
習ってもいない理論を持ち出して勝手に書いた。「ブローデルみたいに書きたかった」っていうただの意地でした。

今振り返ると、それは拙い真似ごとだったかもしれません。
でも、あの本にはそういう強い力があった。
一行で、海をひらくような力が。