宿からバスで10分。ピラミッドは、あまりにあっけなく姿を現した。「歴史の彼方の神秘」なんて言葉を頭の隅に置いていたのに、まるでディズニーランドの距離感だった。 念には念を入れてと、私たちは日本から持ってきた日焼け止めをこれでもかと塗りたくり、長袖のパーカーを着て帽子をかぶった。それからそう、写ルンですを持ってきた。ガイドブックには「防塵対応していないカメラは壊れるし、高価なカメラは盗られる」とあって、その言葉に素直に従った。
ラクダに乗って写真を撮る。背後に4つのピラミッドが収まる定番のフォトスポットだ。ギザのピラミッドは太古の昔に岩を積み上げて作られた三角錐の建造物で、どこまでも続く砂漠と同じ色をしている。ラクダを引く男性はローズグレイのガラベイヤを着て、白のキャップを被りその上にクーフィーヤを巻き付けている。ラクダの鞍は華やかなベルベル風の織物で飾られていた。
ラクダは優しげな目をしている。長いまつ毛で、ちょっと眠そうにこちらを見る。それで気を抜いていると突然「グアァ」と口を開けて威嚇してくる。このヒトコブラクダは、7世紀のビザンツ帝国時代にペルシアから伝わったものだ。暑さに強く平坦な道が得意で、瞬く間に荷物や人を運ぶ家畜として北アフリカに普及する。こうした移牧や遊牧に関するブローデルの指摘は、歴史の表舞台に現れることのなかった人間の日々の営みを、鮮やかに描き出す。それは、まるでその景色を実際に見てきたかのよう。


再びバスに乗ってピラミッドのふもとまで移動する。ピラミッドの大きさに驚くよりも、「意外と低いな」と思ってしまったのは、テレビ番組のドラマチックな映像を信じすぎたのか、あるいは渋谷の高層ビルに見慣れすぎたのか。とても低く迫力がない姿に見えて、がっかりしてしまった。
そうは言っても、ピラミッドを目の前に、私たちは嬉々として写真撮影をした。キエちゃん、よしみ、みきちゃん、ムスタファさんとイスラムさんの6人で並んで、ムスタファさんがやって見せてくれたポーズを全員で真似した。左右の親指と人差し指を合わせて胸の前で三角形を作る、ピラミッドのポーズだ。
ピラミッドに登ってみようと石に足をかけてみて、ひとつの石があまりに大きいことを初めて理解した。1段1段が大人の胸の高さくらいある。これを人力で運んだのかと思うと、その重労働を果たした人々の偉大さに心が震えてしまう。ムスタファさんは6人分のカメラを腕に抱え、撮る度に誰のカメラか確認しながら代わる代わるひたすらシャッターを切り続けていた。添乗員というのは大変な仕事だ。
まわりの外国人観光客も一眼レフカメラを構え、夢中でシャッターを切っている。撮って誰かに見せたい。見てもらえるかはわからないけれど、それでも撮る。その行為は小さな祈りのように見えた。叶うかもしれないし叶わないかもしれない。誰も見ないし誰も共感しないかもしれない。こんなにたくさん撮ってどうするのだろう、そういう疑問や不安に蓋をするようにファインダーを覗いてシャッターボタンを押し続ける。
私たちは普段、携帯電話で写真を撮る。写メールという言葉が誕生して以来、次々とカメラ機能付き携帯電話が発売されてきた。写真を撮るための専用の道具があるにもかかわらず、2.2インチの液晶画面でやり取りするために写メを使う。常に手元にある道具で撮って、すぐにメールで送ったり、mixiにアップできることが最大の魅力だ。失敗したら消せるから、気楽になんでも撮れる。
それに比べて、使い捨てカメラなんて昭和の産物である。子供の頃、旅行先で観光客向けの売店で目立つ場所に置かれていたのを見かけた。あるいは家族で厚生年金プールに行ったときに両親が使い捨てカメラを買っていたような気もする。自分で写ルンですを買ったのはこれが初めてだった。1000円を少し超えるくらいで、こんなに高いのかと少し驚いた。うまく撮れたか確認することもできないし、撮れる枚数にも限りがある。現像にもお金がかかるし、直接会う人にしか見せることができない。現像しても保管場所に困ったりもする。ずいぶんと不便な道具である。
ひとしきり写真を撮ったあと、ムスタファさんが「中に入ってみよう」とクフ王のピラミッドの中へ案内してくれた。入口は、人ひとりがやっと通れるくらいだ。幅50センチ、高さ140センチ。くり抜かれた穴の先に、薄暗い階段が続いていた。階段と言っても木の板に滑り止めをつけたようなもので、足元はおぼつかない。観光客が列をなして通路を進む。背の高い人たちは背中を丸めて歩いていて、みんな汗だくで、なんだか避難訓練みたいだ。降りたり登ったり、必死で前の人に着いていく。狭くて、暑くて、息苦しくて、ほとんど記憶がない。
急に列の歩みが止まった。そこには何もない空間が広がっていた。ただただ何もなかった。石の壁と天井だけ。そこにいた全員が息を飲んだように何かを見つけようとあたりを見回していた。そしてやっぱり何もなくて、なんで必死の思いをして来たんだろうとまたがっかりした。
ギザのネクロポリスには4つのピラミッドがある。最も大きいものが今内部を歩いている、クフ王のピラミッド。その次がカフラー王のピラミッド、その次がメンカウラー王のピラミッドで、小さな3つのピラミッドが並ぶのが王妃のピラミッドだ。カフラー王のピラミッドだけ、上部に建設当時の表面を覆っていた化粧岩が残っていて白っぽく見える。これらのピラミッドが建設されたのは紀元前2500年頃、古王国時代である。ピラミッド研究は考古学に属する。考古学というのは発掘する場所を決めると、数ヶ月にわたって掘り続ける、細心の注意を払いながら堀り続ける作業である。民族考古学の山口先生はポリネシアの専門だが、掘り続けると鬱になると言っていた。彼の授業はいつも面白かった。そしてその言葉が宙に浮いたように頭の中に思い出された。 私たちはさきほど来た狭い道を、また同じように必死の思いをしながら戻って外に出た。
外に戻ると、ムスタファさんがゴミ拾いをしようとビニール袋を配った。このツアーは遺跡保護をテーマのひとつにしている。太陽を照り返す白い地面に目を凝らす。けれど、ほとんどゴミは落ちていない。代わりにせっかくだからと、砂漠の砂を袋に入れて持ち帰ることにした。
スフィンクスの前に移動する。人の顔とライオンの体。ピラミッドよりもずっと異様な存在感がある。「トリビアの泉」で観た通り、鼻の先にはケンタッキーフライドチキンがあった。キエちゃんと私は、スフィンクスの左右から頬にキスをするポーズで写真を撮ろうとした。よしみがファインダーを覗きながらもっと近づいてと言ったけれど、もはや口にキスしそうな距離感に顔が熱くなってきた。結局、スフィンクスの両脇で恥ずかしさに照れた横顔がふたつ並んだ写真ができあがった。

露天を広げる土産物屋の店主たちは、私たちを見ると「ヤマモトヤマ〜」「モウカリマッカ?」と声をかけてくる。日本語を知っているのか、音だけ覚えたのか。その調子のよさに苦笑いしながら、バスはカイロ市内へ戻った。