今日はダハシュール、メンフィス、サッカラに向かう。バスに乗って1時間の距離だ。ギザよりも以前に建てられたピラミッドがあるらしい。ぼんやりとピラミッドというのはひとつだけだと思っていた。ここには黒のピラミッドや赤のピラミッドや屈折ピラミッドがあるとムスタファさんが車内で説明した。流れていく外の風景を青味がかった窓ガラス越しに眺めながら私は聞いていた。どんなに説明を重ねても、それは砂の中にあり太陽が照り付けていて三角錐の建造物であることには変わりがなく、これ以上たくさん見てもどうしろというのだ。
私はほとんど飽きていた。砂の中の巨大建造物に飽きて、また悶々と考え込んで憔悴していた。大学に入ると同時に、人間社会の中で人間らしく生きていくための訓練を始めた。卒業したら会社で働くことになり、その時には組織の集団で飲み会やカラオケに行くこともあるだろうと、人格矯正をしようと思ったのだ。その結果は散々で他の人間とうまく付き合えない自分にただただ意気消沈した。あるところではどんなに頑張っても弾き出されて、しかしあるところではすんなり溶け込めることができた。それでも何か至らないことがあればまた弾き出されてしまうのかもしれないと怯え、誰かに寄り掛かりたいと思ったり裏切られるのを恐れたり、頭の中にずっと言葉が鳴り続けていた。
私たちはダハシュールに到着した。バスを降りると言葉を失った。真正面に降ってくる日差しはいつも通りに暑い。けれど身体の内部を冷たさが通り抜けた。何もなかった。地面があってそれが遠くかすんでいる地平線まで続いているのに何もない。人間もいないし植物もないし建物もない。そんな場所はこれまでの人生で見たことがなかった。なんて、なんて清々しいのか。それまで頭の中でこんがらがっていた人間関係とかそういうことはまったく些末なことで、切って捨てればいいのだ、宇宙空間ってこんなところだろうかと思った。自由だ。縛り付けるものはなく解放されている。哀しくて嬉しくて涙が出そうだった。冷たくて残酷で喜びにあふれている。近くにツアー参加者がいるはずなのに、たった1人で立っているような感覚だった。何も聞こえない。静かだ。



私はここで写真を撮らなかった。撮る対象を見つけられなかったのだ。ファインダーの先に焦点を当てるものが見つからなくて撮れなかった。だから代わりに全身で記憶しなくてはという思いに駆られた。記録する術がそれしかなかったからだ。そしてまたいつか帰って来ればいいと思った。苦しくなってもここに来たら絶対に大丈夫だと思った。衝撃的な空間だった。
足元の砂地は靴底をやわらかく包むように地面に少し沈みこむ。視線をあげると薄い茶色の地表が水平線まで続いている。砂埃で青空の半分は白く霞んでいる。太陽光は真上から肌に降り注いでくる。遮る雲はない。周囲に建物や木々は見当たらない。音がどこにも反響することなく消え去っていく。風が吹くと砂粒がさらさらと風下に流れていく。その風は先を歩いた人の足跡をすぐに消し去っていく。道らしい道はない。かつてこの地を旅した商人たちは一体どうやって目的地へたどり着いたのだろうか。この向こう側にある場所を目指すなんて勇気は一体どこから出てくるのか、それくらい異世界で、私は歩き回ることもできずに茫然と立ちすくむことしかできなかった。