再びバスに乗ってピラミッドのふもとまで移動する。ギザのピラミッドは太古の昔に岩を積み上げて作られた三角錐の建造物で、どこまでも続く砂漠と同じ色をしている。これは数字の上ではシンデレラ城よりも高い。しかしとても低く迫力がない姿に見える。テレビで見た画があまりに仰角で期待を大きくしすぎたのだろうか。渋谷の高層ビルに比べたら全然低いじゃないかとがっかりしてしまった。

そうは言っても、ピラミッドを目の前にした私たちは嬉々としてポーズをとって写真撮影をした。ムスタファさんはピラミッドのポーズをやって見せてくれた。これは左の親指と右の親指、それ左の人差し指と右の人差し指をそれぞれくっつけて三角形を作るものだ。キエちゃん、よしみ、みきちゃん、ムスタファさんとイスラムさんの6人で写真を撮った。今度はピラミッドの石に登ってみる。実際に足をかけてみて気がついた。これらの石は1つ1つがとても巨大でとても簡単には登ることができない。一辺が1.5mはありそうだ。3段に分かれて並びポーズを取った。ムスタファさんは6人分のカメラを腕に抱えて、撮る度に誰のカメラか確認しながら代わる代わるシャッターを切り続けた。添乗員というのは大変な仕事だ。

周囲の外国人観光客も一眼レフカメラやコンパクトカメラでたくさんの写真を撮っている。撮って誰かに見せたいと願う。ああ、これは小さな祈りなのだ。叶うかもしれないし叶わないかもしれない。誰も見ないし誰も共感しないかもしれない。こんなにたくさんの写真を撮ってどうするのだろう、そういう疑問や不安に蓋をするようにファインダーを覗いてシャッターボタンを押し続ける。

私たちは普段、携帯電話で写真を撮る。写メールという言葉が誕生して以来、ここ数年で次々とカメラ機能付き携帯電話が発売されてきた。しかしここエジプトではほとんど見かけることはない。彼らの携帯電話には写真を撮る機能がないようだ。私たちは、写真を撮るための専用の道具があるにもかかわらず、2.2インチの液晶画面でやり取りするために写メを使う。常に手元にある道具で撮って、すぐにメールで送ったり、ミクシィにアップできることが最大の魅力だ。うまく撮れなかったら消去すればいいから、とても気楽になんでも撮る。

それに比べて、使い捨てカメラを最後に使ったのはどれくらい前か思い出せないほど昔のことだ。使い捨てカメラなんて昭和の産物である。子供の頃、旅行先で観光客向けの売店で目立つ場所に置かれていたのを見かけた。あるいは家族で厚生年金プールに行ったときに両親が使い捨てカメラを買っていたような気もする。自分で写ルンですを購入したのはこれが初めてだ。価格は1000円を少し超えるくらいだっただろうか。こんなに高いのかと少し驚いた。うまく撮れたか確認することもできないし、撮れる枚数にも限りがある。現像にもお金がかかるし、直接会う人にしか見せることができない。現像しても保管場所に困ったりもする。アルバムを常時持ち歩くわけにもいかない。不便極まりない。緊急事態にしか使うことはない道具である。