2006年9月8日、カイロ国際空港に到着した。関西国際空港からエミレーツに乗り継ぎ、さらにドバイ国際空港で早朝に数時間待たされて、すでに20時間ほどが経っていた。タラップで地面に降り立つと、冷房で冷え切った身体をアスファルトから立ち上がってくる熱風が包む。そこからバスに乗り込み、次に降ろされた到着ホールは簡素な建物だった。壁にアラビア語の装飾があった。現地のアラビア語に胸が高鳴った。順路を辿っていくと、「『地球の歩き方』学生ボランティア エジプト 遺跡保護活動 国際交流」と書かれたプレートを持って出迎えに来ている添乗員らしき男性を見つけた。彼に言われるがままに両替とビザの購入をし、荷物を受け取って出口に向かう。
空港の出口には、たくさんのタクシーの客引きが待ち構えている。彼らはみな、携帯電話を耳にくっつけて大声で喋っている。彼らの携帯電話は、親指と人差し指でつまめる程度に小さく、2つに折りたたむことも絵文字を打つこともしない、ただ声を遠くに運ぶことに特化したNokiaの黒いカブトムシのような端末である。Nokiaは日本ではあまり見かけないが、携帯電話市場で世界最大の携帯電話メーカーだ。旅行客が出口を出ると、それまで携帯電話で話していた彼らは”TAXI!!TAXI!!”と叫び、我さきに自分の乗客を捕まえようと客引きを開始する。彼らが乗っているタクシーは、セダンタイプでドアが4つあり後部座席に3人が乗ることができる日本でも見慣れた車種である。しかし、窓は全開、エアコンは機能してるか不明、数えきれないへこみが至るところに見られる。そしてドライバーは呼吸をするようにクラクションを鳴らす。この客引きの波はものすごい圧力で、押し寄せてくる空港の熱風のようである。
ムスタファさんがバスが到着したと私たちに知らせた。このツアーの添乗員は2人いて、1人が先に迎えに出てきたムスタファさんで、もう1人がバスに乗っていたイスラムさんだ。2人とも英語と日本語を操ることができ、とても穏やかで優しい人柄である。タクシーの客引きの波を通り過ぎた。ムスタファというのは預言者ムハンマドの別名でイスラム圏で広く用いられる名前である。しかしそんなことよりも、彼の眉毛がなだらかな波のように結ばれていて、私たちはみな会った瞬間からすっかり魅了されてしまった。私たちはバスに乗り込んで33km離れた宿に向かった。
カイロは世界でもっとも古い文明を持つ都市のひとつである。この都市はナイル川の下流に位置している。夏にはナイル川が氾濫し、河口ではその豊かな水と太陽で農作物を育てる。「ナイルの賜物」とヘロドトスが言ったというその場所である。数多くの王朝がこの場所で起こり、都市を築き文化を育み他文化と交流した。このエジプトの歴史について専攻することを、私はなんとなく選んだ。決め手があったようでなかったような気もする。ムバラク政権はこの年に25年目を迎える。
高速道路を移動していくと、道の脇にあちこちで民家を建設しているのが数多く見える。その作業風景はおどろくほど簡素で、人が手作業で木や鉄筋の棒を軸に泥やレンガを埋めて壁を作っている。四角い窓があり、屋根は平らで3階建てか4階建てほどの長方形の空間を次々に積み上げている。どういうわけか、どの建物も屋根から棒が突き出たままの状態で人が住み始めているようだ。住人たちは窓からたくさんの洗濯物を干している。この作り方で壊れないのだろうか。灼熱の太陽の下で作業を進める彼らを、冷房が効きすぎているバスの窓越しにぼんやり眺めていた。